情報社会の<哲学>論考

大黒岳彦著:情報社会の<哲学>に関する論考

本書を読むプログラマーを含む理科系の方々にとって哲学的に難解と思われる部分を中心に 解説を試みます。また内容に関する個人的な疑問や意見なども書くつもりですので、 遠慮なく記事についてのコメントを頂ければ幸いです。

序章:マスメディアの終焉と<メディア>史観

大黒岳彦著:情報社会の<哲学>に関する論考です。

 

 本章ではマクルーハンのメディア史観を紹介し、それが声というメディアが主導する生態系、手書き文字のメディアが主導する生態系、活字文字のメディアが主導する生態系、テレビに代表される電気メディアが主導する生態系とメディアが進化している歴史を説明しています。

各メディアに対応する社会は、それぞれ声ー>村落共同体、手書き文字ー>家内制手工業時代、活字文字ー>産業革命、テレビー>脱工業化社会になるかと思われます。

ただ筆者がその生態系の推移状況を並列的に捉えており、その生態系に属する人々にとって現行システムが不可視化する、と述べている部分には疑問を抱かざるを得ません。

つまりテレビ時代からはそれ以前の活字文字時代は分析できるが、当のテレビ時代はどっぷりその中にいるため自明のものとして問題が前景化しないと。
例えば地球の自転を知らない時代は人々は太陽が空を回っていると考えるように、時系列で知識ギャップが生まれるケースを引用しています。

しかしメディアとは情報の伝達手段であり、その変遷が地球の自転ほどのコペルニクス的転回を生み出すとはとても考えられません。

メディアの進化は並列に置き換わるのではなく、重層的に積みあがると解釈すべきではないでしょうか?

また積み上った層がまだらに露出しており、声、手書き文字、活字文字、電気メディアが混在している多重段違い構造体がメディアの姿に近いと思います。

従って筆者の後の層から前の層の分析とは、一つ積みあがった重層から未だ露出しているそれ以前の重層を比較検討することになります。

確かに未だ到来しない層からの分析は不可能ですが、それ以前の重層から現在の層を検証することは可能であり、不可視化すると言うほどの現行メディアへの埋没は考えられません。

従ってテレビ、ラジオを中心とするマスメディアは終焉するのではなく、徐々にインターネット層が浸潤しつつあるのでは。